2025/12/04
BS10プレミアムオリジナル音楽番組「STORIES~歌に刻まれし物語~」連動企画!加藤登紀子さんロングインタビュー

――番組について聞かせていただこうと思っておりますが、その前に、加藤さんの普段の生活の様子、家で過ごされる中での好きな時間だったり、習慣となっていることから聞かせてください。
加藤:料理が好きですね。コロナ禍になってからは外食が少なくなって、家で料理をすることが多くなりました。近くに小学校があって、夕方5時になると「夕焼け小焼け」が流れてくるんです。そのチャイムを流れてくると立ち上がって、「頑張れ!」って自分の心に鞭打って、「一人でも料理を作るぞ」という決心をしながら泣きながら料理をしています(笑)。そんなふうに、自分で料理をして、晩酌をしながら食事をするという食生活が身についたというか、ここ数年の習慣になりました。
――夕方5時からの料理が日課になっているんですね。
加藤:はい。「夕焼け小焼け」で泣くというのがいいんですよね。ある時、チャイムのメロディーが「春の小川」に変わったことがあったんです。きっと誰かが「さみしすぎるから変えらたらどうか」と言ったんだと思うんですけど、私はそれがイヤで小学校に「夕焼け小焼け」に戻してほしいと電話しようかと思ったくらいで。でも3日後に「夕焼け小焼け」に戻りました。他の誰かも「イヤだな」って思ったんでしょうね。夕方にはちょっとさみしいくらいのチャイムがちょうどいいんです(笑)。
――2000年にコロナ禍になって、家で過ごす時間が増えた時に新しく習慣になることを始めた人もきっと多かったと思います。
加藤:生活習慣とか考え方とか、変わったりしましたね。本当、この5、6年というのは特に自分と向き合う時間がいっぱい出来て、一人でも“暮らす”というのを大事にしたいなと思うようになりました。料理の他にも、古い洋服を作り直すというのもしています。洋服のリメイクが今の私の楽しみの一つになっていて、仕事が多少忙しくてもそれを続けています。夜遅く帰ってきてからひと針ひと針チクチク縫うのが良くて、心の平和に繋がります。
――BS10では、「映画」と「音楽」の番組がメインとなっておりますが、映画や音楽はどのように楽しまれていますか?
加藤:映画は思春期の頃からすごく好きです。私たちって“映画と活字の世代”なんです。知らない世界を知りたいという世代で、映画を見たり、本を読んだりして“知らない世界”を知っていきました。なので、映画は今でも好きですし、いいなって思っています。この前、新宿まで歩いて、久しぶりに映画館でも映画を見ました。見たのは「宝島」なんですけど、映画館だといろんな作品の予告編が見られるので気になる作品が増えたりして、しばらく映画づいたりしちゃうんですよね。
――そういうきっかけで映画館にしばらく通う感じで見に行ったりすることも多いですよね。
加藤:一つのきっかけになりますよね。そうそう、映画館と言って思い出すエピソードがあるんです。60歳はちょっと過ぎてた頃かもしれないんですけど、何も言わないのにチケット売り場の人に『シルバーですか?』って言われたことがあって、私は咄嗟に『違います!』って答えたみたいなの(笑)。その売り子の方に『それは本人が言うべきことであって、言いたい人と言いたくない人がいるんだからほっといてちょうだい!』って言ったんだけど、そうしたらみんなから『何言ってんの!安く見れるんだからシルバーです!って言っとけばいいじゃない』って。よく考えたら、安く見られるのっていいシステムですよね。
――音楽はどのようにして楽しまれていますか? 新しい世代のアーティストに興味を持たれたりしていますが。
加藤:テレビの音楽番組をよく見ます。私は常日頃あんまり情報収集はしないんです。出会うことが奇跡だと思っていて、たとえば、『あの日、偶然テレビを見たからあの人と会ったんだわ』って、これまでを振り返ってみると、テレビを見ていた時に強烈な出会いがいくつもありました。
――意識して「この番組を見よう」というのではなくて、何となく見ていた番組に出演していて。
加藤:そう。たまたま見てたということが多くて。たとえば、中島みゆきさんもそうでした。ちょうど私の二番目の娘が生まれる前で仕事を休んでいた時期でした。仕事はお休みにしていたんですけど、本気で自分の仕事をしようと思って事務所を持ったばかりの時期だったので、スタッフが2人いたんですけどお昼ごはんを隣のトンカツ屋さんで食べるというのをサイクルにしていました。お店に入ったらテレビがついていて、そこにバーンとアップで映し出されたみゆきさんの顔に衝撃を受けました。「この人、すごいわ!」って。それはみゆきさんがグランプリを獲ったヤマハのコンテストだったんです。それでヤマハの知り合いに電話をして「会いたい!」ってお願いしたの。みゆきさんはまだ北海道に住んでいて、時々東京に出てくるという感じだったんですけど、合間を縫って、みゆきさんが私の家を訪ねてくださって、私は大きなお腹をしていたんですけど、「触っていいですか?」って触っていただいたという思い出深い出会いになりました。
――本当にそのタイミングでお店に入ってなかったら、その衝撃的な出会いはなかったかもしれないですね。
加藤:はい。たまたま見ていたということだと、SUPER BEAVERもそう。テレビで立て続けに見かけたんです。最初に見たのは明石家さんまさんの『明石家紅白』という番組でした。一回インディーズになって、また返り咲いてメジャーデビューしたというストーリーに感動して、渋谷龍太さんの本『都会のラクダ』を買って読んだら、“共に生きてる”みたいな気持ちになっちゃって、日本武道館も見に行って、楽屋に会いに行って。それで私のYouTubeチャンネルでやっている番組「『土の日』ライブ」にも出てもらいました。その時に、彼をゲストに呼ぶからには歓迎の音楽がないといけないじゃないと思って、フルコーラスじゃないけど、ギターの弾き語りで「幸せのために生きているだけなのさ」を。ギターも難しかったんですけど、「この曲は絶対に私の持ち曲にしたい」と思って、OKをもらってレコーディングしました。
――SUPER BEAVERともテレビがきっかけでそこまで発展していったんですか。
加藤:そうなの(笑)。一度そういうふうに『すごい!』って思って近い距離で出会っちゃうと、そのストーリーはずっと続きますよね。終わらないというか、続くんです。みゆきさんともお会いする機会は多くないけれど、手紙のやり取りとかもしたことがありますし、(中島みゆきが作詞作曲した)「この空を飛べたら」という曲は続いているんです。
――大切な“出会い”があれば、そこからストーリーは続いていく、と。
加藤:はい。偶然的な出会いなんですけど、私たちは漂ってるわけだから、渡り鳥なんですよ(笑)。都会の建物がいっぱいあるところだと、こっちの通りかあっちの通りかで永遠に会えないかもしれない。でも、空を飛ぶ渡り鳥だと視界が広いからいろんなものが目に入ってきますよね。飛んでる者同士だったら会えるんじゃないか、と。そういうことを誰かと話してる時に思って言ったことがあるんです。
――60周年ということで、長く活動されているエネルギーの原動力をお聞きしようと思っていたんですが、そういう出会いを大切にして、いくつものストーリーを紡いでいるというのもその一つなのかなと思いました。
加藤:私は漂っているだけで終わりがないんです。もちろん始まりは“デビュー”なんですけど、長い期間、迷い迷い、日本のポップスが形になる前から歌い始めたので、いつもなんとなく探しているというか、探しながらやってきました。オリジナル曲も歌手になってから、初めてギターを持とうかなと思ってギターを持ち、曲を書いてみるかなと思って書き。最初はシャンソンだったんだけど、いいものは日本語にして歌いたいから自分で訳してみたり。全部、歌手になってからやり始めたことばかりなので、“ギター歴50何年”とか言っちゃって、ちっとも上手くならないんですけど(笑)。私のお客さんで「登紀子さんのギターを聴くとホッとするわ。全然変わらなくて」って。「それは一体なんですか?」って笑うんだけど、本当にそういうことです(笑)。弾き語りをするためのギターだから、それでいいと思っています。
――今回の番組の中でもギターの弾き語りをされていますが、歌と演奏が一つになっている感じが素敵だなと思いました。
加藤:ありがとうございます。だから、「ギターは私の靴です」と言ってるんです。旅人にとって、気に入った靴があるといい旅ができそうな気がするじゃないですか。私にとってギターがそれなんです。旅行に行く時にギターがあるのとないのとでは旅が全然違うんです。
――60周年記念の企画としてアルバムを2枚『for Peace』『明日への讃歌』をリリースされました。
加藤:曲を選ぶのにすごく悩みました。たくさん曲がある中から『これは今歌ったらいいんじゃないか』っていう曲を中心に選びました。『明日への讃歌』のタイトル曲も、実は1978年に作った曲で、ある人が「これは放って置いたらダメだ」って言ってくれて、改めて聞いたらいい歌だったので入れました(笑)。「止まらない汽車」という曲も「何十年も待ってるのにどのCDにも入れてくれない」って言ってくださって。松本零士さんの実写映画(映画『元祖大四畳半物語』)のために作った曲で、ずっと歌ってこなかった曲なんですけど『ほろ酔いコンサート感謝祭』で歌います。あとは阿久悠さんが歌詞を書いてくださった「浪漫浪乱」という曲もヒットしなかったんですけど(笑)、かっこいい曲なので『ほろ酔い』で歌います。そんなふうにヒットソングだけ集めたんじゃなくて、今どうしても歌ってみたいものを入れたのが『明日への讃歌』なんです。
――今回、番組「STORIES」では加藤さんの活動の中で重要な曲を6曲披露されています。
加藤:どれも思い入れの強い曲です。「難破船」は私がアルバムに入れるために作った曲なんですけど、昔アルバムは「LP」と言われていて、10曲ないとアルバムにならなかったんです。アルバムを作るためになんとか10曲作るわけです。そのために私たちも曲を作りすぎたって言うとアレですけど(笑)、ライブとかでもちゃんと歌えてなかった曲もあります。でも、LP作りのおかげで出来た曲もいっぱいあって、「難破船」もその一つでした。ステージでも歌うんですけど、“地味な曲”という印象があって。40歳をすぎてから作った曲なんですけど、20歳の時の初々しい恋、終わりが来るなんて知らなかった頃に終わりが来た時の衝撃が大きかった失恋の歌なんですよね。二度、三度恋をすると別れ慣れをしてくるんです。そんな別れ慣れをしてる年代になった自分が「難破船」を歌ってたらすごく寂しく感じたんです。そんな時、中森明菜さんが目の前にいて、『あぁ、そうだ。恋の真っ只中にいて、ヒリヒリするような痛みが伝わってくる彼女にはこの歌がいいんじゃない』って思って、私は明菜さんに直接カセットを渡したんです。彼女が「難破船」を歌ってからも何度も会ってますけど、テレビ局のスタジオって必ず光が当たっているんですけど、裏側に暗い場所があるじゃない。明菜さんはその暗い場所にスッと立ってるんです。それがいいなぁって。歌はもちろん大好きなんですけど、彼女が歌った曲はテレビで見せるという意味でも天才だなと思うんです。でも暗いところにいる彼女も好きで、一緒になれる時には、その暗いところに行って喋ってたりしていました。それで明菜さんに「難破船」を渡したんですけど、本当に奇跡のように感じています。「難破船」を歌ってる時期は、彼女はどんな瞬間もその主人公としてのスタンスをキープしてる感じですごかったです。
――最後に、番組を楽しみにしている読者の方へのメッセージをお願いします。
加藤:「百万本のバラ」を弾き語りしています。ステージでは滅多に弾き語りをすることはないんですけど、どんな瞬間にも私の体の一部みたいな曲だと思っているので、弾き語りで聴いていただく機会がこの番組であったのもすごく大事に思っています。あと、いろんな歌が、いっとき歌って終わっていくんじゃなくて、ずっと歌い続けていくうちにどんどんその曲が一緒に育ってくれるという感覚があります。今回、この番組で聴いていただく曲は、みんなそういう意味で、私の人生を変えてくれた曲なので、そういう気持ちで聞いてください。
