「特集:ジャンゴたち!」にあわせて、これだけは見るべし!! ジャンゴ映画6本を解説 [後編]
2023.08.02![「特集:ジャンゴたち!」にあわせて、これだけは見るべし!! ジャンゴ映画6本を解説 [後編]](https://www.bs10.jp/wp-content/uploads/2023/08/0705fe14-b624-4816-a18b-47e715cd332e.webp)
ドラマ『ジャンゴ ザ・シリーズ』独占日本初放送にあわせて、この夏、ドラマではなく映画の“ジャンゴ”も満を持して特集放送。玉石混交あまたある“ジャンゴ”映画の中でも、まず見ておくべき作品はどれか!? 我々スターチャンネルは、マカロニ・ウエスタン研究家のセルジオ石熊氏にラインナップ策定に協力をいただいた。7月の前編に続いてセルジオ石熊氏みずからが推薦作を解説する映画コラムの今回は第2弾。8月放送分『情無用のジャンゴ』『待つなジャンゴ引き金を引け』『ジャンゴ対サルタナ』をお届け!
『続 荒野の用心棒』『復讐のジャンゴ・岩山の決闘』『ジャンゴ 繋がれざる者』を紹介しているコラム7月分[前編]はコチラ 『続・荒野の用心棒』1966 B.R.C. S.r.l. - Surf Film All Rights Reserved
■イタリア映画界に舞い降りた空前のウエスタン・ブーム~映画人はこぞって西部劇へ
セルジオ・コルブッチが生んだ元祖ジャンゴ=『続・荒野の用心棒』やセルジオ・レオーネの傑作『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』が公開された1966年を発火点として、翌1967年以降、イタリア映画界は空前の西部劇ブームに沸きかえった。年間100本近くの西部劇がイタリアやスペインの荒野で作られ、大の男たちが拳銃を手に走り回り、馬から転げ落ち、地面を転がったりした。まさにマカロニ・ウエスタン祭りだ。
天邪鬼のセルジオ・コルブッチは、ウエスタンをひと休みしてギリシャで現代アクション映画『太陽の暗殺者』[1967]を作るが大ヒットには至らず(作品の一部はクエンティン・タランティーノ『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』[2019]の劇中に登場した)、プロデューサーに乞われて再び西部劇ワールドへ戻り、『黄金の棺』[1967]『豹/ジャガー』[1968]『殺しが静かにやって来る』[1968]と、たて続けに話題作・問題作を連発することになる、一方、セルジオ・レオーネはハリウッドからの資金を得てアメリカ・ロケを敢行した超大作『ウエスタン』[1968]の準備にかかり、脚本チームには若手映画作家ベルナルド・ベルトルッチとダリオ・アルジェントが抜擢された。
■なんでもいいから西部劇を撮れ! 新人監督もマカロニ・ウエスタンで映画界に続々参入
そんなころ、ドキュメンタリー映画を自主制作したことをきっかけにルキノ・ヴィスコンティやミケランジェロ・アントニオーニ、フェデリコ・フェリーニらと知り合い、ルックスを買われて『甘い生活』[1960]などに出演していたパルチザン出身の若者ジュリオ・クエスティのもとへ、友人のプロデューサーが訪ねてきて、こう言った。「なんでもいいから西部劇が必要なんだ。大急ぎで一本作ってくれ」
書きかけの映画脚本(後に『殺しを呼ぶ卵』[1968]になる)を放り出したクエスティは、コンビを組んでいた友人の編集兼脚本のフランコ・アルカッリと共に大急ぎで西部劇脚本をまとめると、スペインへ飛んでウエスタンを撮り上げた。こうして生まれたのが『情無用のジャンゴ』(1967年)、イタリア原題は「お前が生きていたなら撃て!」だ。主人公の流れ者に名前はなく、どこにもジャンゴは登場しなかった。が、英語題名は「ジャンゴ・キル! お前が生きていたなら撃て!」となっていた。
主演はトーマス・ミリアン。キューバ系アメリカ人でかの有名なアクターズ・スタジオ出身の演技派俳優だ。『ボッカチオ'70』[1962]のルキノ・ヴィスコンティ篇などに出演していたが、文芸映画ではお金にならないので、このころから娯楽映画路線にキャリアを転じていた。『復讐のガンマン』[1966]、『血斗のジャンゴ』[1967](こちらも“ジャンゴ”など出てこない無関係な作品)など、「マカロニ・ウエスタン三大セルジオ」のひとり、セルジオ・ソリーマ監督作品に連続出演していた(ちなみに3人目のセルジオの息子ステファノ・ソッリマは『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』[2018]やスターチャンネルで放映されたミニシリーズ『ZeroZeroZero 宿命の麻薬航路』[2020]などの監督をしている現役バリバリの映画監督だ。*ソリーマとソッリマは同じ苗字だが、日本での読み方&表記が違っただけ)。
■スピルバーグも参考にした(らしい)マカロニ・ウエスタンの異端カルト作『情無用のジャンゴ』
ジャンゴ……ではなく、名もない流れ者の主人公は、金塊強盗団に加わっていたが、強奪成功後に首謀者たちに裏切られ、仲間の農民たちと共に墓を掘らされ、銃弾の嵐を浴びる。が、運よく生き残った彼はインディアンに助けられる。たどり着いた町の住民はみな強欲で、先に着いた強盗団は皆殺しにされて金塊も奪われていた。派手な衣装を身にまとったボスに率いられたゲイ集団はじめ、悪党だらけの町には、幽閉された女や男色の餌食になる美青年(レイモンド・ラブロック)がいた。インディアンは殺され、流れ者も捕らえられて十字に縛られて拷問を受ける……。
墓場から復活し、半裸で十字に縛られてムチ打たれる主人公はまさしくキリストを思わせる。監督クエスティいわく、強盗団の非道な裏切りも、愚かで自分勝手な住民たちも、二次大戦時にパルチザンとしてファシストと戦っていた時に見た世界が投影されているという。白昼、町の広場に逆さ吊りにされる強盗団の死体は、まるでムッソリーニの最期を思わせる描写だ。そして、黄金の銃弾で撃たれた男の腹を指でほじくり、インディアンの頭の皮をはぎ取る残酷描写は物議を醸し、同性愛描写を含めてイタリアでは裁判沙汰になり、上映中止に追い込まれた(のちに一部残酷シーンなどをカットされたバージョンで一般公開されたという)。
残酷&男色描写と大胆で神経を逆なでするような画面編集(クエスティの盟友フランコ・アルカッリが担当)から、“シュールレアリズム”的マカロニ・ウエスタンとも評され、レオーネ、コルブッチの娯楽作品とは一線を画していた。まさにマカロニの極北にあるともいえそうな『情無用のジャンゴ』だが、公開後に評価はウナギのぼりとなり、今や『続・荒野の用心棒』と並ぶマカロニ・ウエスタンを代表するカルト作とされている。スティーブン・スピルバーグが『プライベート・ライアン』[1998]製作中に参考に観ていたという証言もある。
「ジャンゴ」の名のもとに「なんでもいいから西部劇」を発注されながら、独自の映像表現の中にさまざまな人間描写・社会批判を強烈に盛り込んだ異端のマカロニ・ウエスタン『情無用のジャンゴ』には、本物の「ジャンゴ魂」が宿っているように思える。
■玉石混淆・乱発マカロニ・ウエスタンの中で異彩を放つニセ“ジャンゴ”
1960年代、テレビの台頭に押されながらも、映画はまだまだ大衆娯楽の王道だった。日本やアメリカ(ハリウッド)では、俳優や監督を抱えた大映画会社がマーケティングや社会情勢を考えながら映画作品を量産していた。が、イタリアでは様相がまったく違った。大きな配給会社は存在したが、製作会社のほとんどが個人経営、いってみれば個人プロデューサーがお金を集めて映画を作っていた。当然、プロデューサーも出資者も儲かりそうな映画を作ろうとする。マカロニ・ウエスタン・ブームが到来すると、われもわれもと誰もが西部劇を作ろうと画策し、なかには『情無用のジャンゴ』のような傑作も生まれたが、予算もアイディアも足りないまま付焼き刃(つけやきば)で世に出された愚作もあった。
元祖ジャンゴ=『続・荒野の用心棒』のプロデューサーも、さらなる金儲けを目指して続編を企画した。が、報酬契約でもめていたらしいセルジオ・コルブッチもフランコ・ネロも参加せず、ネロによく似た“青い目をした若手俳優”テレンス・ヒルを主役に抜擢し、別の監督を起用して『殺しのジャンゴ/復讐の機関砲(ガトリングガン)』[1968]が作られた。中途半端に本家に似た主人公だったおかげで、正式な続編のはずなのに、どうしても「ニセモノ」「バッッタモン」的雰囲気がぬぐえない珍作となった。そして、これをきっかけに、セキを切ったようにニセ「ジャンゴ」映画が乱立していく。『復讐のジャンゴ・岩山の決闘』[1967]は、後付けで「ジャンゴ」の名を遠慮がちに使っただけのようだが、1968年以後は、堂々と「ジャンゴ」を名乗る主人公がスクリーンを闊歩するようになる。なかでも、『ジャンゴ・ザ・バスタード』[1969] や『復讐のガンマン・ジャンゴ』[1971]のアンソニー・ステファンは、スタイルがよく、悪くないニセ「ジャンゴ」を演じて、いつのまにかマカロニ・ウエスタン主演本数ナンバー1と呼ばれるほどに大活躍した。とはいえ、小さい目を細めて渋みを出すワンパターン演技で、何本見てもほとんど印象に残らないのが最大の特徴だった。
そもそも『続・荒野の用心棒』は、冒頭とエンディングだけが決まっていて、毎日脚本が書き足しながら撮影されたという驚くべき製作方式がとられていたのだが、こうした行き当たりばったりの映画作りは、もともとドキュメンタリー・タッチのネオレアリズモ映画を得意にしていたイタリア人にとって特に珍しいことはなかったようだ。とはいえ、才人セルジオ・コルブッチならともかく、「とりあえず儲かるようだから西部劇、ジャンゴの名前もいただきだ」と参入した凡人監督ではそうはいかない。玉石混淆のマカロニ・ウエスタン/ニセ・ジャンゴの中でも、元祖ジャンゴの行き当たりばったり精神を受け継ぎ、イタリア映画、いやマカロニ的映画作りの本道をいった注目作が『待つなジャンゴ引き金を引け』[1968]だ。
■イタリア映画の底力を見せつける『待つなジャンゴ引き金を引け』
街道で牧場主が20人近い悪漢たちに囲まれ、あっさり射殺されて10万ドルが奪われる。旅から戻った息子ジャンゴが犯人を追う……。と、いってみればそれだけの物語で、ジャンゴ(ショーン・トッド)は見た目は地味だが、ひたすら強く、早撃ちで敵をなぎ倒す。元祖ジャンゴのようにリンチされて傷だらけになることもなく、女に惑うこともない(妹しか出てこない)。悪人は何人か出てくるが、みな部屋か広場に立ってセリフを言っているばかりであまり活動しない。撃ち合いは、移動したり場所を変えて敵を狙ったりすることはなく、すべて決闘スタイル。勝負は一瞬で決まり、みな次々に地面に倒れこむばかり……これはいったいどうしたことか……答は簡単だ。脚本がなく、予算もないので複雑な撃ち合いシーンなどは展開できない。血のりを用意したり、小道具を壊したりするのはお金がかかる。ゆえに、誰もが決闘スタイルでゆったり正面に構えて、撃たれたら倒れる、というわけだ。
もちろん金もない代わりにアイディアはいろいろ盛り込まれている。コメディリリーフ的存在の棺桶屋の老人は『荒野の用心棒』[1964]、酔っ払い老人は『リオ・ブラボー』[1959]からのイタダキ。最後の決闘が、とにかく顔のアップで長引かされているのは、もちろんセルジオ・レオーネの影響(パクリ)だ。
ヒーローの相手役(恋人)が登場しないのも珍しいが、演じているのがショーン・トッド(アイヴァン・ラシモフ)とラダ・ラシモフという、セルビア系イタリア人の俳優兄妹なので、そのまま兄妹役にしたのだろう。途中から現れてラスボスになる殺し屋ホンド(ジョン・ウエイン主演作に『ホンド―』[1953]があった)を演じているのが、脚本を担当したヴィンチェンツォ・ムソリーノ(脚本はグレン・ヴィンセント・デイヴィス名義)なのも、なにやら人手不足の感がいなめない。
ブームに乗って続々誕生・乱発されたマカロニ・ジャンゴ物の中で、幸運にも後に評価されカルト化した名作が『情無用のジャンゴ』(原題「お前が生きていたなら撃て!」)だとすれば、『待つなジャンゴ引き金を引け』(劇中に同じセリフが登場する。が、ジャンゴはなかなか引き金を引かない)は、ブームの中で生まれた数多のトンデモ失敗作を代表する一本だろう。日本やアメリカ、また(ビデオプレイバックで確認しながら撮影される)現代の映画作りでは決して生まれることがないに違いない貴重な映画遺産であり、1960年代のイタリア映画人の底力……いや、したたかさを十分にみせつけてくれる一本である。
■マカロニ・ウエスタン版“キングコング対ゴジラ”!? 『ジャンゴ対サルタナ』本邦初登場!
「金になりそう」な「西部劇」を「アイディアいただき」で作り上げるのがマカロニ・ウエスタンの神髄だとすれば、そんなマカロニ精神を見事に具現化した一本が『ジャンゴ対サルタナ』[1970]だ。
「サルタナ」とは、アンソニー・ステファン主演のマカロニ・ウエスタン『砂塵に血を吐け』[1966]に登場した悪役の名。あいかわらず派手さのない表情・演技で目立たないステファンに対して、「サルタナ 残酷な支配者 自らの掟を残虐に下す ムチは彼の舌 銃は彼の口 憎しみは彼の神」と予告編で紹介されたキザでクールな殺し屋サルタナのカッコよさは観客の心をがっちりつかんだ。演じたのは旧ユーゴスラヴィア(クロアチア)出身で熱心な創価学会信者のジャンニ・ガルコ(ジョン・ガルコ名義)。おかげで、死んだはずのサルタナは生き返り、ジャンニ・ガルコは『さすらいの盗っ人野郎・サンタナ』[1969](テレビ放映時にサルタナを間違って表記したらしい)、『サルタナがやって来る~虐殺の一匹狼~』[1970]など続けて5本の「サルタナ」シリーズに主演した。日本では劇場公開されたことがないのでイマイチ無名だが、ヨーロッパ、特に西ドイツ・北欧での人気は大変なものだったらしい(ちなみに、ややこしいがジャンニ・ガルコは『二匹の流れ星』[1967]で「ジャンゴ」を演じている)。
というわけで、日本映画『用心棒』[1961]」を西部劇に翻案したのが『荒野の用心棒』[1964]なら、こんどは『キングコング対ゴジラ』[1962]を「ジャンゴ」と「サルタナ」でウエスタン対決させようじゃないか、と企画された(のかもしれない)のが『ジャンゴ対サルタナ』[1970]だ。もちろん、誰にも許可などは取っていないので、今まで日本では一切公開されていなかった激レア作だ。
驚いたことにここでのジャンゴは、孤高のガンマンではなく、賞金稼ぎ軍団を率いるリーダーだ。が、町へ戻ると、銀行に勤めていた弟(!)スティーヴが、縛り首になっていた! 犯人は流れ者の殺し屋サルタナと聞かされたジャンゴは復讐を誓い、サルタナを追う……。
ジャンゴ(トニー・ケンドール)に弟がいたのには驚いたが、銀行員だという設定には、ビックリしたなもう。サルタナ(ジョージ・アーディソン)は、いつも通りの黒づくめのクールな殺し屋だが、なぜかジャンゴとサルタナは対決せず(殴り合いするだけ)、共闘して真犯人を追うことになる。
死んだはずの男の墓を掘り返したり、口をきけないメキシコ人の男がいつも一緒にいたり、銀行頭取の姪がムチで打たれそうになったり、なかなかどうして本家ジャンゴ、セルジオ・コルブッチ好みの展開が用意されているのは、ジャンゴ・ファンにはうれしいポイント。特にクライマックスで、“悪人のひとり”が馬の群れに踏みつぶされる描写は、それほどリアルではないにせよ『続・荒野の用心棒』を彷彿とさせる。そして最後に、サルタナが札束を数えながらうそぶく。「銀行の人間は信用できないな」
これこそが、『ジャンゴ対サルタナ』が言いたかったことだ。いまだかつて、そんなテーマを盛り込んだ西部劇があっただろうか。
■国会議員にまでなったマカロニ監督が放ったマカロニ史上最大の対決!
『ジャンゴ対サルタナ』の監督・脚本を担当したパスクァーレ・スクイティエリの経歴を知ると、謎は解ける。ナポリ生まれのスクイティエリは、新聞社やナポリ銀行に勤めた後、ウエスタン・ブームに乗ってウィリアム・レッドフォード名義で『ジャンゴ対サルタナ』に続いて『ガンマン無頼/地獄人別帖』[1971]を監督したのち、ナポリの犯罪集団カモッラを描いた『殺しのギャンブル』[1973]、シチリア・マフィアをテーマにした『鉄人長官』[1977]、『白熱マフィア戦争/皆殺しの抗争』[1978]などを発表し、社会派監督として認識されている。私生活では、1970年代にイタリアの大女優クラウディア・カルディナーレとパートナー関係を築き、1990年代には右派政党からイタリア上院(元老院)議員に選出された。どうやら、スクイティエリはナポリ銀行勤務時に、横領事件に関連していたようで、退職後に有罪を宣告されている。おそらく、『ジャンゴ対サルタナ』でスクイティエリが描いたのは、実生活で体験した銀行の不条理・犯罪性の告発だったのかもしれない。現代でも時に社会問題となる悪徳銀行の腐敗と戦うには、ジャンゴとサルタナが争っている場合ではなく、共闘し力を合わせなければならない。そんな後の国会議員監督パスクァーレ・スクイティエリのメッセージが伝わって来るではないか。
ちなみに、彼のウエスタン第2作『ガンマン無頼/地獄人別帖』も、インディアンに罪を着せる白人やフェイクニュースを流すマスコミを描いた問題作で、マニアの間で人気の高い隠れ傑作。新聞記者はクラウス・キンスキー、『待つなジャンゴ引き金を引け』のショーン・トッドも出演しています。[終]
Profile : セルジオ石熊
小学生のときに『荒野の1ドル銀貨』『唇からナイフ』の2本立を映画館で見て以来の映画ファンにしてマカロニ・ウエスタン研究家。DVD-BOXシリーズ「マカロニ・ウエスタン・バイブル」(IMAGICA)でマカロニ関係者インタビュー取材を担当。共著・編書に「エンニオ・モリコーネ映画大全」「百発百中! ウェスタン映画入門! 」「クリント・イーストウッド ポスター大全」「三船敏郎映画大全」「アメリカン・ニューシネマの世界 特集バニシング・ポイント」など。
放送で観るなら
『ジャンゴ ザ・シリーズ』放送記念 特集:ジャンゴたち!PART2
BS10「スターチャンネル」にて8/18(金)ほか放送予定
詳しい放送情報は>>
ドラマ『ジャンゴ ザ・シリーズ』
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