【連載】#8『明日はない』| 坂本安美 Gaumont特集 解説コラム
2024.01.19
世界で最も古い映画会社のひとつ、フランスの「Gaumont(ゴーモン)」の作品群の中から、「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」誌元編集委員で、 アンスティチュ・フランセ(主に東京日仏学院)にて映画プログラム主任としてご活躍されている、坂本安美さんがセレクトした10本を放送・配信する特集「Gaumont セレクション」。本連載では、坂本さんご自身に、各作品のみどころを解説していただきます。本編とあわせ、ぜひお楽しみください。
マックス・オフュルス(1902-1957)の軌跡を辿ってみると、それは渦を巻き、複雑に曲線で織りなすアラベスク模様のようであり、まるで彼の映画の登場人物たちの軌跡、あるいはそのカメラの動きを思わせる。フランス国境に近いドイツのザールブリュッケンで、ユダヤ系の両親のもとに生まれたオフュルスは、1933年、ナチス政権下のドイツからフランスへ亡命、その後フランスでドイツ占領が始まると、イタリア、オランダ、そしてアメリカ、ハリウッドへ渡り、50年代、フランスへと帰還。惜しくも54歳という若さでこの世を去るが、その波乱に満ちた短い生涯の間に数々の女性映画の傑作を生み出した20世紀映画史に名を刻む巨匠、それがオフュルスである。
『明日はない』はそのオフュルスが1939年、第一期フランス時代に監督した作品の一本であり、本国フランスでもかなり最近になって驚きとともに発見された心揺さぶる傑作である。オフュルスは本作を作るきっかけについて次のように述べている。「この映画はパリで生活していた私が抱いた印象や、幾つもの夜、良識あるブルジョワにはショックを与えるような場所や人物たちの中で体験した逸話から生まれた。私はいつもポン引きと女たちの世界に惹かれていて、現代におけるモーパッサン的な脚本でこの題材の映画を撮ることを夢見ていた」。オフュルスの言葉通り、本作には当時のパリの不気味で危険な香り漂う夜と、光あふれたショービジネスの世界が魅惑的に描かれ、そこから男性の支配と社会的慣習の重圧の犠牲になっている女性たちの姿が浮き彫りになっていく。こうして1950年代のオフュルスの傑作『快楽』や『歴史は女で作られる』の要素をすでに見出すことができる『明日はない』は、陳腐なメロドラマになりかねない筋書きから、並外れて洗練された女性の肖像を描き出すことに成功している。
狭いキャバレーやスタジオで再現されたパリの街角を移動する登場人物に寄り添うカメラの動きの妙は、オフュルスの比類なきそのスタイルが1930年代にすでに完璧に研ぎ澄まされていたことを示している。たとえば、主人公のエヴリンの姿を見つけ、彼女のもとに駆け寄っていくジョルジュを追うカメラの流麗なる移動、そしてエヴリーヌが息を止め、目を見開いて彼を見つける美しい顔のクローズアップによって、私たちは二人がかつて情熱的に愛し合った恋人であることを寸時のうちに理解する。フリッツ・ラング、ロバート・シオドマク、マルセル・カルネの作品も手がけた名カメラマン、オイゲン・シュフタンの素晴らしいモノクロ映像がふんだんに活かされていて、ドイツ表現主義を特徴づける深い影と、光源に満ちたキャバレーやアパルトマンのほの白い光、あるいは雪の眩い白さなどが対照的に描かれている。そして非現実的ともいえる照明は、ヒロインを記憶の紆余曲折と回想の中へと深く沈ませるオフュルス映画の夢のような性格を際立たせている。
『明日はない』は、オフュルスの女性たちに対する深い愛情、そして汚辱と不名誉の刻印を押されながらも尊厳を保ち続けるヒロインに対する慈悲深い眼差しを確認させてくれる。そのヒロインを演じるのは、大戦を跨いでフランス映画で活躍した女優、エドウィージュ・フイエールである。オフュルス映画の他のヒロインたち同様、いつ転落するかもしれない脆い綱渡りであると知りながら、その上を決然と歩き続ける一人の女性を、フイエールは豊かな感情とともに演じ切っている。
明日はない(1939)|SANS LENDEMAIN
監督:マックス・オフュルス/出演:エドウィージュ・フイエール、ジョルジュ・リゴー、ダニエル・ルクルトワ
<作品概要>
女性を主人公にした名作の数々を世に送り出し「女性映画の巨匠」と呼ばれるマックス・オフュルス監督による悲劇的なメロドラマ。ある事情からキャバレーで踊り子として働く主人公が、再会した昔の恋人にその姿を見せまいとついた嘘と、その顛末を描く。主人公のエヴリーヌを演じるのは『双頭の鷲』で知られるエドウィージュ・フイエール。オフュルス監督ならではの流麗な映像で、運命に翻弄される悲しきヒロインの姿を映し出す。
<あらすじ>
かつては令嬢であったが、とある事情でモンマルトルのキャバレーで踊り子として働いているエヴリーヌは、店で一番の人気者。ひとり息子とともに小さな家でなんとか生活を送っていた。そんなある日、エヴリーヌは裕福だった頃の恋人に再会する。3日間だけパリに滞在するという彼に、キャバレーで働いている姿を見せたくないエヴリーヌは大豪邸に住んでいるふりをするという大芝居を打つことに。必死に真実を隠そうとするのだが…。
(c) 1939 Gaumont
特集配信:フランスの老舗映画会社「Gaumont」セレクション
世界で最も古い映画会社のひとつ、フランスの「Gaumont(ゴーモン)」の作品群の中から、アンスティチュ・フランセ(主に東京日仏学院)にて映画プログラム主任としてご活躍されている、坂本安美さんに全10本をセレクトしていただきました。惜しくも日本ではなかなか見られないレア作品を中心に、12月と1月の2カ月連続でお届けします。
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